2023/6/18 第2回18期生まち歩き 後半

 6月18日にみなとみらいから山手まで18期生のゼミ生でまち歩きを行いました。今回は後半パート(⑦~⑪)で歩いたところについて詳しく書いていきたいと思います。

⑦馬車道

馬車道の始まりは、1866年野大火の後のことです。幕府は諸外国との間で、商業を活発にして住民に運動や保養の機会を与えるために馬車の道を整備する、という内容が入れられた、居留地の整備に関する取り決めを締結しました。これにより馬車道がつくられることになりました。また、開港に伴って横浜にはさまざまな西洋文化が流れ込みました。馬車道の街灯もその一つで、日本のガス灯の発祥地として現在もその面影を感じることができます。現在は東京芸術大学大学院映像研究科として利用されている旧富士銀行横浜支店は、粗い積石の堅牢な外壁が特徴の古典的な建物で、平成になり金融市場再編による銀行合併から富士銀行横浜支店の建物も存続が危ぶまれましたが、2002年に横浜市が取得し、現在に至ります。馬車道ではまちづくり協定を策定しており、“日本の異国文化発祥の地"として、開港横浜の歴史・文化を大切にするとともに、新しい文化を提案しています。ハードな面としてカラーリングや建築物のデザインなど、ソフトな面として商品開発やイベントなどについて定められています。実際に歩いてみても色は白やレンガ調で統一感があり、チェーン店も色が統一されていました。


⑧横浜スタジアム


日本大通りから横浜スタジアムまでは、スタジアムに近づくにつれて、活気が感じられ、一体感がありました。横浜公園は、商業スペースなどがあり、横浜スタジアムがその中にありながらも、観戦に来た人たち以外も立ち寄りやすいような環境だと感じました。横浜公園のはじまりは、1866年の慶応の大火を機に幕府と外国公使団との間で結ばれた契約によって、「彼我公園」として完成したことです。1874年には居留外国人のクリケットグラウンドがつくられ、横浜スタジアムのルーツになったと言われています。1929年には、「横浜公園球場」という名で、関東大震災復興事業の一環として竣工し、その後、ベーブ・ルースの訪問や日本初の女子野球、日本プロ野球初のナイトゲームなど、歴史的に大きな場面が多く刻まれてきました。横浜スタジアムを本拠地とするプロ野球球団横浜DeNAベイスターズは、「コミュニティボールパーク」化構想というものを掲げており、様々なコミュニティを育む地域のランドマークとなることを目指しています。


⑨山下公園


山下公園は、日本で最初の臨海公園です。歴史的な背景としては、関東大震災の復興事業として市内の瓦礫などを大正14年から4年がかりで埋め立て、その上の部分を土で覆うことによって公園の基礎的な形が出来上がりました。公園内の木の高さが山下公園外に植わっている木よりも低いのはこのように瓦礫が土の下にあるため、根っこが思うように伸びないためです。公園の中の木に注目をするだけで歴史的背景を考えるきっかけになるということの面白さと、実際に歩いている方々に注目してもらいたい部分であると私たちは感じました。また、ゼミ生として注目したのは山下公園の端にあるインド水塔です。こちらは、関東大震災が発生した際に横浜に住んでいたインドの方116人が被災し、28人が犠牲になり、その際に横浜市民が手助けを行いました。そのお礼と、亡くなった方の鎮魂の意味が込められて、1939年12月に横浜のインド人コミュニティが資金を集め、横浜市に寄贈したものです。水塔自体白く美しいと感じたが、とくに中に入り天井を見上げると色鮮やかなタイルでデザインされておりかわいらしく国際的交流を感じられる場所となっていると感じました。


⑩中華街

起源は安政6年(1859年)の横浜開港時まで遡ります。当時、英語と漢字を理解出来た中国人が西洋人との仲介役として活躍しました。外国人居留地に近い横浜新田の一角に、日本の外交にとっては必要不可欠であった華僑が移り住み、それが後に中華街として発展しました。

広東が華僑の故郷であるということもあり、カントン料理の店が圧倒的に多いのですが、上海、四川、北京、湖南など様々な地方の料理を味わうことが出来ます。飲食店だけではなく、雑貨屋、関帝廟や媽祖廟などの施設もあり、遊び方は多様です。

最近では中高年層の客足が減ってきていますが、それとは対照的に若者層の客足は増加傾向にあるそうです。インスタ映えするいちご飴やお手頃価格の焼き小龍包など、「食べ歩き」に適した提供スタイルへとシフトする動きがあり、それが若者需要を掴んでいます。しかし実際は、「若い人にはもっと文化や歴史を学びに来て欲しい」と言った旨の声も中華街側から上がっており、本来の歴史的価値を取るか、経営を取るか、というような難しい選択を迫られている現状があります。今後、横浜中華街がどのような未来をたどっていくのかが気になりますね。


⑪元町商店街

元町商店街に足を踏み入れると、その異国感溢れ、統一感のある空間に魅了されます。伊勢佐木モールと比較するとチェーン店が少なく、歴史ある老舗が今でも多く並んでいます。また、元町商店街では、建物の色がグレーに統一されています。1970年代後半に、横浜トラディショナル、略して「ハマトラ」という言葉が生まれましたが、元町は横浜の中でも、ファッションの最先端の地として繁栄した歴史があります。白というシンプルな色で街が統一されているのは、歩行者のファッションが目立つように、という意図もあるそうです。また、現在の商店街の中では比較的珍しく、自動車の通行が許可されており、コインパーキングも設置されています。自動車で買い物をする顧客層を逃さないため、土日の12時から18時を除き、車が通行できるようになっているのです。元町商店街では、そこに訪れる人々のことも考慮して、空間がデザインされています。かつて栄えた商店街の多くがシャッター街化する中で、歴史と個性を守り空間がデザインされた元町商店街は、現在でも多くの人々に愛されています。

執筆者

青木花歩 リトルフィールド美波 山本佳乃子 玉城俊樹 栗原柊


参考文献

http://www.bashamichi.or.jp/history/GreatFire.html

http://www.bashamichi.or.jp/town/philosophy.html

https://www.yokohamacorp.co.jp/blog/entry-127293/

http://theyokohamastandard.jp/article-1530/

https://www.yokohama-stadium.co.jp/about/history/

https://npb.jp/archives/japanesebaseball150th/sights/detail146.html

https://www.baystars.co.jp/cbp/

https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/koen/koen/daihyoteki/kouen008.html

https://yokohama-india.org/indian-water-tower

https://gendai.media/articles/-/100126

https://gendai.media/articles/-/100126

https://www.housecom.jp/faq/category_town/387/ 

鈴木伸治 研究室

横浜市立大学 | 都市デザイン Yokohama City University Urban Design Laboratory